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雨降りお月さんの歌詞と意味!歌の由来・語源、動画も紹介

この時期に有名な曲として『雨降りお月さん』という曲がありますね!
この曲の歌詞と意味はなんでしょうか?また歌の由来と語源も気になりますね!
そのため今回は、雨降りお月さんの歌詞と意味!歌の由来・語源、動画をご紹介します!^^

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雨降りお月さんとは?

出典:http://www.my-kaigo.com/pub/carers/otasuke/douyou/cat1/0170.html

2007年(平成19年)に、文化庁と日本PTA全国協議会が選定した、「日本の歌百選」に選ばれた、「雨降りお月さん」。
作詞は「シャボン玉」「赤い靴」「青い眼の人形」などで有名な野口雨情さん、作曲は中山晋平さんです。
全体では、歌詞が二番で構成されています。
最初は歌詞が一番だけだったのが、2番がその後、付け足されたので、一番と二番でメロディーが違います。叙情的な童謡ではありますが、何となく「寂しさ」「哀しさ」を感じるのは何故なのでしょうか?それには、隠された事情がありそうです。それは一体何なのでしょうか?まず、歌詞などを紐解いて見ていきましょう。

雨降りお月さんの歌詞と意味

「雨降りお月さん」歌詞、またその意味は?お嫁入りの日なのに「雨の夜更けに
「ひとりで」「夜が明ける前」に行かなければならないのはどうして?

一番(雨降りお月さん)

   雨降りお月さん 雪の蔭
   お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
   ひとりで傘(からかさ)さしてゆく
   傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
   シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
   お馬にゆられて 濡れてゆく

二番(雲の蔭)

   いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
   手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
   お袖でお顔を 隠してる
   お袖は濡れても 干しゃ乾く
   雨降りお月さん 雲の蔭
   お馬にゆられて 濡れてゆく


出典:https://www.youtube.com/watch?v=21JW-j5JJdc

歌詞の意味

太陽や月のまわりに見える、輪のような光を月の暈というそうです。
月の暈がかかることを、お月さんが傘をさす、としています。お月さんが暈をさすと、翌日は雨になるといわれています。
お月さんが暈をさしているように見えるところ、ここに、作詞家・野口雨情さんの豊かな感性を感じることができますね。
その昔、野口雨情夫人の婚礼の日は、あいにくの雨だったそうです。

栃木県から馬で二日もかかって嫁いできたとされています。馬に乗って、荷物を引き連れた行列をなし、輿入れをすることは、当時の習わしだったそうです。
雨情は、白無垢姿の花嫁と、この日、初めて対面しています。新しい生活への希望に満ちて、凜として馬に乗って嫁いできた雨情夫人に対し、あいにくの雨で、遠い道であったことをねぎらって歌っているのではないか、とされています。

そして、ここからが本題です。
実は、それとは別の推察もあるとされています。多くの童謡の作詞家として、活躍していた雨情は、この曲を作るまでに二人の娘を亡くしています。長女みどりを生後8日目で亡くされています。
野口雨情さんの歌を思い出してみましょう。
皆さん、周知のシャボン玉の歌詞です。~「シャボン玉消えた とばずに消えた 生まれてすぐに とばずに消えた・・・」

~これは、生まれて、すぐに亡くなった長女みどりの鎮魂歌ではないだろうか?と考えられています。

併せて、次女には、「せめて健やかに育って欲しい」という思いを込めて作詞された、のかもしれません。詞を作った年と、娘が亡くなった年が違い、この説については諸説があります。

実は実子ではなく、親戚の幼い子どもを思って書いたのではないかとも言われていますが、幼い命への弔いを込めて書かれたのではないか、ということは明確ですね。

雨情は、次女恒子も、「雨降りお月さん」を発表する直前に2歳という若さで亡くしています。
このことから、「雨降りお月さん」は、人生を謳歌することなく、亡くなってしまった、次女恒子への、せめてもの手向けに、父、雨情が恒子が成人して、輿入れをする姿を想像して歌ったのではないか、とも推察されています。既に死んでしまった我が子に対し、親として連れ添ってあげることもできず、一人でお嫁に行くことが不憫でならないため、娘が寂しくないように、せめて馬に鈴をつけ、「シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた お馬にゆられて 濡れてゆく」のではないでしょうか。
「コドモノクニ」の挿絵(岡本帰一画)では、花嫁も、馬もうなだれ、馬の脚も雪に隠れています。(後に紹介する、通販や、動画のサイトなどで岡本帰一さんの絵をご覧いただくことができます。)なるほど、挿絵からは、何ともミステリアスな雰囲気を感じたのは、このことから、と推察できます。

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雨降りお月さんの歌の由来・語源

最初は一番だけだったのに、二番もできたのは何故?

この曲は1925年(大正14年)の「コドモノクニ」正月増刊号で、楽譜つきで発表されました。
この時は、まだ歌詞は一番だけでした。題名も「雨降りお月」で発表される予定でしたが、作曲家・中山晋平の勧めで、「雨降りお月さん」としました。
きっと、「さん」付けの方が、歌う時に子どもたちが歌いやすかったからであろうと、推察されます。
そして、歌詞、一番が好評だったため、「コドモノクニ」三月号にで「雪の蔭」という続編が発表されたのです。昭和に入って、レコードが普及し、この曲のレコード化が決まるにつれ、「雨降りお月さん」だけでは短いので、作曲家・中山晋平の提案による、「雲の蔭」と合わせて、ひとつの曲となったとされています。

動画でお聞きいただければ、わかるとは思いますが、一番と二番で、若干メロディーが変化しているところが、
こういった経緯があったことを裏付けていると考えられます。

また、「コドモノクニ」とは、1922年1月から1944年三月にかけて東京社から
出版された「児童雑誌」です。従来、子ども向けの本の画家は、挿絵中心だったのが、
「絵雑誌」が活動の場として注目され始めたのが、この雑誌の刊行でした。当時にしては
珍しく、大判・多色刷り。大正モダニズムを背景とした、芸術性、デザイン性を重視した内容でした。

作家としては、野口雨情をはじめ、北原白秋なども名を連ね、挿絵画家としては竹久夢二、岡本帰一、他11名も誌面を飾ります。音楽家は、中山晋平が主に編集していました。第二次世界大戦中の用紙難で休刊となってしまいます。

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「雨降りお月さん」通販のお勧めは?

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雨降りお月さんも収録された日本の歌100選です!
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レビューの評判もいいですね!

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こちらも雨降りお月さん収録されています!
こちらもレビューの評判良いですね!
CD4枚組で101曲入っています。童謡っぽい感じではなく、カバー作品が
多いです。児童合唱団、安田祥子さん姉妹、デュークエイセスさんも歌って
います。
「どんぐりころころ」でさえ、原曲と離れたアレンジがなされているので、
鑑賞CDという感じがします。

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お月見の季節、秋ということもあり美味しい団子も歌に合いますね♪

まとめ

いかがでしたか?
短い歌詞の中にも、野口雨情さんの感性豊かさが詰まったこの「雨降りお月さん」とても聞いていてほんわかしますね。

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