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七夕のお話・ストーリーや伝説って何がある?雑学や豆知識も!

七夕は日本人にはお馴染みの夏の行事です。では、七夕の由来を正しく知っている人は少ないようです。七夕はどうして祝われるようになったのでしょうか?
そのため今回は、七夕のお話・ストーリーや伝説って何がある?雑学や豆知識は?をご紹介します!^^

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七夕のお話やストーリーって何がある?雑学も

彦星と織姫の伝説って?

みなさん、一度は聞いたことがある彦星と織姫の伝説。忘れてしまったという方もいるかと思いますので、まずは復習してみましょう。

織姫は天の神様の大切な娘で、機織りがとても上手な女性でした。年頃になった織姫に結婚相手を見つけようと考え、天の神様は彦星を選びます。彦星は真面目な牛飼いの青年でした。
二人は結婚し、幸せに暮らしたと思いきや、織姫は機織りをさぼるようになり、彦星も真面目に働かなくなってしまった。結婚を機にすっかり変わってしまった二人を見て、天の神様は二人を引き離すことにしました。天の川を挟んで、西と東に二人は引き裂かれたのです。
嘆き悲しむ二人。天の神様は不憫に思い、真面目に働くことを条件に、年に一度、7月7日の夜だけは会うことを許すことにしました。

これが彦星と織姫の伝説です。この物語は、中国に古くから伝わっている物語です。

七夕の行事はもともと中国で行われていた

中国では、彦星と織姫の伝説を元に、乞巧奠(きっこうでん)という行事がもともと行われていました。乞巧奠は7月7日の夜に織姫に手芸の上達を願う行事です。
織姫は機織りの名手でした。そこから、織姫のように機織りといった手芸が上手になりたいと願い、織姫に向けて糸や布などの手芸道具を献げる祭壇をつくる行事が生まれたのです。

つまり、もともと中国では、七夕は手芸を行う女性たちのための行事だったのです。今の日本の七夕とはだいぶ意味合いが違いますよね。

日本の習慣とミックスされた七夕

この乞巧奠の習慣は、中国から日本へ奈良時代に入ってきました。当時は中国の文化は日本人にとっては憧れの異文化でした。平安時代になると、貴族を中心に乞巧奠が広く行われるようになるのですが、日本の習慣とミックスされ、次第に変化していきます。

日本には古くから、棚機津女(たなばたつめ)の伝説がありました。汚れを知らない女性(つまり処女ですね)が、小屋に籠もって神に捧げるための布を織る、というのが棚機津女の伝説です。
この伝説にちなんで、日本では古くから、女性が織った布を神に捧げ豊作を願うという神事が行われていたのです。

この棚機津女の伝説は日本の神話が発祥であり、織姫とはもともと何の関係もないのですが、この伝説が中国から渡ってきた乞巧奠の習慣と結びつき、棚機津女(たなばたつめ)の名称から7月7日に行われる行事が「七夕(たなばた)」と呼ばれるようになりました。完全な当て字なんですね。棚機津女の伝説と結びつく前は「七夕」と書いてごくごく普通に「しちせき」と読まれていました。

平安時代には七夕は宮中行事として行われていました。手芸だけでなく、和歌などの芸事も上達するように願って、祭壇に桃やナスといった食べ物、針や糸といった手芸道具、お琴といった楽器や梶の葉の裏に書いた和歌をお供えしました。手芸だけではなくなったのは、当時の平安貴族には男性がたくさんいたからでしょう。男性も参加できるイベントとして変化を遂げたのです。

七夕は五節句の1つ

節句というと、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句が広く知られていますが、7月7日の七夕も節句の1つなんです。節句は全部で5つ。残りの2つは、1月7日の七草の節句と9月9日の菊の節句です。

七草の節句は七草がゆを食べる日として知られていますが、菊の節句はあまり知られていませんね。菊の香りのする菊酒を飲んで長寿を祝う節句です、江戸時代までは盛大に祝われていました。今では存在感がかなり薄い節句となってしまいましたが、今でも菊の節句を盛大にお祝いしている寺院もあります。

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七夕の雑学・豆知識は?

短冊に願いを書くのは江戸時代から

七夕といえば、笹に願いを書いた短冊を結び付ける習慣がありますよね。これは江戸時代に入ってから行われるようになりました。

江戸時代に入ると、寺子屋で読み書きそろばんを習う子どもが増えてきました。寺子屋で学ぶ子どもたちが、書道がうまくなるようにと短冊に願いを書いたのが、短冊に願いを書くきっかけとなったと言われています。

五色の短冊私が書いた♪と歌にもあるように、願い事を書く短冊は5色あるといいと言われています。この5色は青、赤、黄、白、紫が理想とされています。これは中国の五行思想に基づいています。
中国では万物の基礎となる5元素として木・火・土・金・水があると考えられていて、それぞれの元素を示す色として、青、赤、黄、白、黒があるとされています。日本では黒の代わりに紫が使われるようになり、それが七夕の短冊にも用いられるようになったのです。

短冊を笹に飾るのは、笹は神聖な植物とされているからです。笹は非常に成長速度の速い植物です。そこに人々は古くから生命力を見出していました。また、笹の葉は殺菌力が高く、魔除けの効果もあるとされています。ですから、神事には広く笹が用いられているのです。地鎮祭でも笹が使われていますよね。

七夕を8月7日にやる地域があるのはなぜ?

一般的に七夕は7月7日とされています。が、例えば三大七夕祭りの1つとして知られる仙台の七夕祭りは8月7日に行われています。仙台以外にも七夕を8月7日に行う地域があるのですが、これはどうしてでしょう。

そもそも、七夕は7月7日といっても、本来は旧暦の7月7日です。明治時代に入ってから太陽暦が採用され、新暦が用いられるようになりました。
そのため、七夕を本来の旧暦の7月7日に該当する日に行う地域、新暦の7月7日に行う地域、新暦の8月7日に行う地域の3つに分かれるようになりました。

8月7日ってどこから来たんでしょう?? 旧暦だとその年によって日付がバラバラになります。中国では今でも正月を旧暦で祝う習慣がありますが(春節)、旧正月に該当する日は、その年によって異なっています。
旧暦の7月7日は新暦で言うと8月になります。毎年日付がバラバラなのも面倒だし、それなら7月7日の1ヶ月後の8月7日にしたら分かりやすいだろう、ということで8月7日に七夕が祝われることになったのです。

今では旧暦の7月7日に七夕を祝う地域は決して多くありません。ですが、新暦の7月7日は実はあまり天気があまりよくないことで知られています。まだ梅雨明けしてないことも多い時期なので、雨になる確率が非常に高いのです。七夕に雨が降ると、天の川の水位が上がって、彦星と織姫が会えなくなってしまうと言われていますよね。
ですから、8月に行った方が彦星と織り姫も会えてハッピーだし、ハッピーゆえに願い事を叶えてくれそうな気もしますよね。

彦星と織姫の星ってどれ?

彦星と織姫の物語は天上を舞台としています。二人は天の川をはさんで離ればなれになってしまったわけですが、実際に夜空を見上げると天の川をはさんで彦星と織姫、二人を表す星がそれぞれ確認できます。

引用:http://wakuwaku-days.com/milky-way-tanabata/

織姫はこと座のベガ、彦星はわし座のアルタイルです。二人の間を引き裂くように天の川が流れているのが見えるでしょう。ちなみに、ベガとアルタイルの間の距離は15光年。とんでもない遠距離恋愛(夫婦ですけどね)だということが分かるでしょう。

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七夕のおすすめグッズはこちら↓↓↓

最後に、一年に一度しかない七夕を楽しむためのグッズを紹介していきましょう。
七夕は奈良時代から行われてきた日本の伝統行事です。平安貴族も楽しんでたんだなあと思いながらお祝いすると、またいっそう七夕を楽しく感じられそうですね。

七夕飾り 笹 竹 七夕 飾り 140cm フェイクバンブー・笹竹・7本枝

180cmが大きすぎるという人には140cmサイズもあります。本物そっくりで繰り返し使えます。

≪全長180cm七夕用笹*2分割≫【七夕用バンブーツリー*L】

生の笹がなかなか手に入らないのならば、プラスチック製の笹を! 生の笹より丈夫です★丈は180cm。

バンブースプレー〔笹竹〕中90cm

バンブースプレー〔笹竹〕中90cm[SP286]【七夕】【お盆 新盆 盆棚 精霊...

大きめの花瓶に飾れるサイズなら90cmサイズ。収納場所も選びません。

まとめ

このように、七夕は中国の伝説を元にうまれた行事で、日本でも古くから祝われてきた伝統行事です。七夕の夜には空を見上げて、織姫と彦星を思い出して下さい。天気がよくて1年に1度の逢瀬を楽しめていたら、願い事を叶えてくれるかもしれませんよ★
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